今日のごはん日記

料理の記録や気ままな日記を書いてます😄

映画 エクソシスト

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かなり、昔に見たオカルト映画。12歳の少女リーガンにとりついた悪魔を祓う物語。首が360度回転したりミドリ色の液体を吐きかける場面ばかりが印象に残っていましたが、久しぶりに見ると色々発見があった。しかしリーガンがブリッジしながら階段を駆け降りる場面は消えていた(何故!?)。そして映画フィルム1秒24コマの画像のうちの1コマのみに、恐ろしい悪魔の顔が挿入されている箇所があります。まばたきしてたら気づかないほどのサブリミナル画像ですが、今回それを初めて見つけて大変驚きました(○_○)❗こんな演出もあったなんて・・怖い❗

内容ですが、まず思ったのは、説明のつかないことに対する当時の医療がどれほどいい加減だったかということ。ひとりの少女には物理的に不可能なくらいベッドが大暴れしていたのに(大地震でもあんなには揺れない)、医師は「脳の化学電気作用の障害でしょう。側頭葉が原因です。不思議な幻覚を呼び痙攣を起こし、ベッドの振動もその痙攣です」って・・説得力なさすぎて何の事だかわからない(!)。原因がわからないから、無理やりそうした理屈で説明したのでしょうけれど・・それで脳のMRIみたいな画像を撮ったり骨髄検査などをするのですが、手術室で何度も注射されて出血し、見ていて本当に痛々しかった。画像撮る検査だけでこんなに苦痛を伴っていたなんて。オバケよりこういう場面が辛すぎて、当時の医療ってこんなに遅れていたのかとビックリする。

そして、悪魔祓いを依頼されたカラス神父は、まっすぐ悪魔と対峙できるほどの強さがない、ひとりの弱き人間として描かれています。独居の母を看取ることができなかった後悔をずっと抱え、また自分の決断ではなかったけれど母を精神病院に入れてしまったことも(軽い認知症みたいな症状があったようだ?)。この母に対する罪悪感を悪魔祓いのときにつけこまれ動揺してしまうカラス神父。これは、リーガンを救うだけではなく神父としての資質に疑問を持ちながらも続けてきた、カラス自身の闘いでもあったのでしょう。それにしてもこの頃の精神病院(?)の描写がすごい。鉄格子のはめられた窓に病室は広いワンルームの相部屋で、そこにいた患者たちは放心したりふらふらと歩き回ったりする人がほとんどでした。当時の精神疾患に対するイメージが、どれほどの偏見に満ちたものであったか、こうした場面を見るとつくづく時代を感じます。ちなみに関係ないけれど「モスラ」に出てくるインファント島も、住民は顔中にペイントして頭に鳥の羽をつけ、ドンドコ叩く太鼓に合わせて踊ったりしているけれど、「南の島」イコール「未開の人」という固定観念があり、日本人が持っていたイメージがはっきりと表れているように思いました。実際は全然違うのでしょうが・・このように映画を見ていると、撮影当時当たり前だと思われていた世間の「常識」「共通の了解事項」などが見られて興味深い。

さて、ここからネタバレで恐縮ですが、カラス神父は、悪魔祓いの経験者メリン神父と共に最後は命を落としてしまいます。悪魔を自分自身のなかに乗り移らせて・・神父としての仕事は荷が重すぎる、辞めたいと悩んでいた彼は見事にリーガンを救いましたが、もし生きていたら立派な聖職者になっていただろうと思うととても残念。「自分自身を救えないのに他人を救えるか」とか、我々の日常でもそんな言い方をよくしますが、誰にでもどうにもならない悩みはある。欠点だらけの自分を好きになれないこともある。だけど、そんな弱さを抱えたままで生きながら、他人と関わることで誰かの救いになったりすることもあるのだな・・と思いました。そして、それによって自分自身も救済されるのかもしれない。ホラー映画だけど、さりげなくそんなメッセージも込められていたのかなと感じました。

ところでなぜこの悪魔はリーガンを選んだのだろうか。父親のいない寂しさからか、押し入れにあったウィジャ盤を見つけ(コックリさんみたいなものですね)、空想の友達を作ったりしていたので、そんな隙をつかれたのかも・・?はっきりした説明はされていないのでよくわからないところもあるのですが、古い映画もあらためて見てみると新鮮でおもしろかったです(^_^)