今日のごはん日記

料理の記録や気ままな日記を書いてます😄

戦争に行ったクマのこと

 

第2次世界大戦時、ポーランドで人間とともに兵士として戦争に行ったクマの物語。Eテレの「地球ドラマチック」で放送していたドキュメンタリーで知って、たいへん驚きました。これって本当の話なの?!と…宮崎駿のアニメとか童話にありそうな実話です。

 

1941年、ソビエトが連合国軍側についたことで、ポーランド人は収容所から解放されました。しかしドイツ占領下にある祖国には帰れず、軍隊を編成し中東へ向かいます。途中、母をなくしたシリアヒグマの赤ちゃんをイランの少年から引き取り、一緒に連れて行くことになるのです。戦時中ですから軍隊が犬や猫を拾うことも考えられないのですが、クマとは(!!)日本軍だったらまったくありえない話です。このクマはヴォイテクと名づけられました。

 

母を亡くして、故郷に帰れないヴォイテクと、同じく故郷に帰れないポーランド人である自分たちが重なり、見捨てることはできなかったとある兵士の回想録にありました。野生のクマなのに、みんなと一緒に相撲をとってじゃれあったり、ビールやたばこを食べたりしていたそうです。映像にあるヴォイテクは子犬のようにじゃれて、まるでぬいぐるみのように愛らしく、みんなから大切にされていることをよくわかっている様子でした。

 

 そして海を越えて、イタリアに渡ることになったとき問題が発生しました。船に動物は乗せられない規則になっていたのです。そこでヴォイテクに「伍長」という役職を与えて正式な兵士として認めることになり、無事に船に乗ることができました。伍長に任命した人もすごいけど、それを認めて乗船を許可した人もすごい!しつこいけど、日本ではありえない。戦時下に動物なんて、真っ先に殺されていたはずです。

イタリアの「モンテカッシーノの戦い」では、武器を運ぶのを手伝ったり、ちゃんと仕事もしていたとか!働いている兵士たちの姿を見て、同じことをしようとしていたのだそうです。ヴォイテクが砲弾を運んでいる絵が、この部隊のシンボルマークになっています。

 

↑車や制服につけられた紋章

初めて海を見たヴォイテクは、海岸に大喜びで走っていきました。そこには若いお嬢さんたちがたくさん。。。「どうなったかわかるでしょう?」と元兵士の思い出話に思わず笑ってしまいます。

 

やがて戦争は終わったけれど、ソビエト支配下になったポーランドには帰れない。兵士たちの多くは異国の地で暮らすことになってしまいました。ヴォイテクも、イギリスのエディンバラ動物園に預けることになり、戦争に行ったクマとして人気を集めましたが、故郷のイランからは遠く離れ・・・ポーランドの歌を聞かせると踊ったりしていたそうなので、軍隊時代を懐かしんでいたのでしょう。動物園とは、ポーランドが自由の国になったらヴォイテクをお返しします、という約束をしたけれど、それは40年も後のことでした…

 

どちらも、祖国に帰るという願いは果たせませんでした。

戦争は人間から故郷を奪うもの…大切なものをすべて…

そんな悲しさをしみじみと感じました。

本当はイランに生まれたのだから、そこで母と水入らずで暮らすのがいちばん幸福だったのでしょう。だけど、兵士たちとヴォイテクは苦楽を共にして、お互いの存在がどんなに心の支えになったことでしょうか。これは神様が与えてくださった運命の出逢いだったのかもしれませんね。

現在でも、故郷をなくして帰れない人たちがたくさんいます。
人も動物も、愛着のある場所で平和に暮らせることを願っています。