今日のごはん日記

料理の記録や気ままな日記を書いてます😄

フランケンシュタイン

NHK「100分で名著」で知った「フランケンシュタイン」の原作を初めて読みました。とても読みごたえのある作品でした。

ハロウィーンの仮装に必ず出てくるモンスター。恐ろしい人造人間。そんな先入観がすべて誤りだったことがわかりました。そしてこの上なく悲しい物語だったこともわかりました。

まず間違えていたのは「フランケンシュタイン」というのは科学者の名前で(=ヴィクター・フランケンシュタイン)、当の本人は名前がなく「怪物」「悪魔」などと呼ばれていること。そしてこの「怪物」は生まれた時、誰よりも清らかで無垢な心、天使のような魂を持っていたこと。これは本当に衝撃でした……

初めて見る陽の明るさ、花や月の美しさに感動したり、人間の家族を見て思いやりや暖かさを共有します。そして驚いたことに、たった独りで言葉も学び、ゲーテ「若きウェルテルの悩み」、ミルトンの「失楽園」などを読み、感動に涙する…どんな本か私も読んだことないのですが(汗)。こんなに知的で人間らしい心を持っていたなんて…!

それなのに、なぜ彼は真実の「怪物」になってしまったのでしょうか?それは、醜い容姿のため。そして無責任に作って失敗したからという理由で簡単に捨てた、ヴィクターのせいなのです。

「怪物」は、人助けをしても、醜いからという理由でお礼の代わりに銃撃され、迫害を受け続けます。生みの親であるヴィクターからも、必死で理解を得ようとするも罵詈雑言を浴びせられます。裏切られた絶望感はどれほど深かったでしょうか……私の胸はヒリヒリと痛みました。「怪物」は復讐のためにヴィクターの大切にしている人を手に掛けて行くのですが、本当はそんなことは望んでいませんでした。しかし人間と心を通わせることはできず、遂には冷たい氷河の中に消えて行きます。でも、自分自身は死んでもヴィクターに危害を加えることはありませんでした。絶望しても自分の創造主を憎みきれなかったのかもしれませんが、これがまた切なくて……ヴィクターの方はというと、最後まで愛や理解を与えることは、ただの一度もありませんでした。自分の家族に対しては愛情深い人なのに…。科学者として何も決着をつけないまま、この世を去ります。ヴィクターの身勝手さに憤りを覚えましたが、科学のこういう側面は現代にも当てはまる所があるのかもしれません。

フランケンシュタインの研究者・廣野由美子さんも指摘していますが、この作品には色々なテーマが盛り込まれています。ヴィクターの研究は、クローンを作ることや遺伝子操作などの倫理的な問題にも通じるものがあります。「なぜそんなに命をもてあそぶことができるのだ?」という「怪物」の台詞は、現代の科学に対して問うているようにも聞こえるのです。あるいは、親が子を虐待する物語として読むこともできます。

人を「怪物」たらしめるものは何なのか……この物語でも、生まれたときから怪物だった訳ではありません。それは偏見、他者を理解しようとしない心、不寛容な心、愛のない態度…だったのかもしれません。

このことをまずはっきりと自覚することが何より大切なのだと感じました。さもなければ、それこそが本当の「怪物」を生み出す源泉になってしまいます。己のなかに「怪物の種」のようなものがあるのかもしれない…作品を読んで思わずそのように考えました。正直に言うと、そんな気絶するくらい醜い人造人間が現れたら、私も恐怖を覚えると思う…現代なら「普通とちょっと違う人」と置き換えてもいい。何もされてなくても怖くなって逃げてしまうかもしれない。でもそれは、相手を理解していないから。(自分が「普通」かどうか、「スタンダードな人間」である保証もない……(^_^;))だから、私も怪物の種を持っている。これを暴走させないために、冷たいほどの理性が必要なのだ…ほっておけば、私の心はすぐ感情的になってしまうから。自分は未熟な人間だから「怪物の種」は消えてなくなることはないかもしれないけれど、それを律しながら生活していこう…

そんな心の持ち方というのも、この本から教えてもらった気がします。

本当に色々考えさせられた小説でした。本を開いてないときも「怪物」の切なさが私の心をいつも締め付けていました。廣野先生、素晴らしい作品を紹介して下さってありがとう!

つぎはフランケンシュタインつながりで、「わたしを離さないで」の映画を録画したので、見たらまた感想を書きたいと思います。

長い文章になってしまいましたが、読んで下さりありがとうございました(〃▽〃)✨