今日のごはん日記

料理の記録や気ままな日記を書いてます😄

「私を離さないで」

映画「わたしを離さないで」を観ました。最後まで心が重く、苦しい作品でした。でも、観て良かった。これは原作を読むべきだな…と思いました。まだ読んでなくてすみません(^_^;)汗

臓器提供のために生まれたクローン人間を収容している施設「ヘールシャム」。ここでクローンの子供達が生活しています。成長して通知が来たら何度か「提供」を行い、その生は「終了」する。1回で「終わる」こともあれば、3回「提供」して生きていられることもあるという。でも、死ぬまでそれを繰り返すのだ。こんな人生があっていいのでしょうか…

「あなたたちの命はそのための生なのです。自分を知り、生に意味を持たせて欲しい」と子供達に語った先生は、学校を辞めさせられた。彼らの生に意味など与えてはいけない、ということなのだろう…

でも、いくら知恵をつけないように隔離していても、成長すれば自分の運命を知ることになります。もし、本当に将来そんなことが起きたら…臓器をもらう側は生き長らえるけど、与える側の人格や魂はどうなるんだろう?クローンといえども、知性を持った人間です。

「私は一体何者なのだ?」

先日も書きましたが、フランケンシュタインの作った「怪物」と同じです。

そこまでして病気は克服しなければならないのでしょうか…それとも、今の自分は健康だからそんな他人ごと、きれいごとを言っていられるのでしょうか。もし自分が病気になったら、「誰か私に健やかな臓器を下さい!」って思うのかな……?と考えてみた。

現代の臓器移植は、脳死した人から行われているから問題ないというけれど、なにをもって「死」と認めるのか、その境界線は曖昧だったりする。医療的な処置を止めない限り死んでいない、という場合はどうなるのか……だから、本当に難しく、生きることに執着する気持ちもあるけど、自分ならもらわないかな…と思う。

クローンもコピーだから、完全に同じものではない。羊のドリーも、何か病気とかにならなかったっけか……?老化が普通より早まったり。記憶が曖昧でスミマセン。このようにそもそも安全なのかどうかもわからない。そしてそれが次の世代に受け継がれたときに、予測不可能な事態が起きないとも限りません。いつかクローンの遺伝子が拡散してしまったら、何か今の人間とは違うものになったりはしないのか……と、どんどん怖くもなりました。

この物語は現実ではないけれど、いろいろな問題を目の前に突きつけてきます。『あなたは何のために生きるのですか?死ぬときに何を守るのか?』…と迫られたように思いました。

学校を追われた先生が言った「生に意味を持たせて欲しい」に、はっきりと自分は答えることができるのか…(いや、できない)。それなのに、どんな手を使ってでも(人をモノのように扱ってでも)生きたいと言えるのか…(言えない)。

「私達が救った命と、私達の間にどれほどの違いがあるのだろう」という最後の台詞が胸に突き刺さります。当たり前のように生きてきて、「自分は一体何者なのだ?」と考えたことさえなかったから・・・。

映画は、イギリスのどんよりした曇り空が沈鬱なムードを演出していて、赤みを押さえたモノクロのような色彩が続きます。日本でもドラマ化したそうなのですが(全然知らなかった…(^_^;))、やはりこの暗さや、イギリスの寄宿学校などの舞台設定がリアリティーを感じさせます。。

カズオ・イシグロさんは、もともとの生まれは日本だけど、イギリスで暮らしてきたからこそ生まれた作品だと思います。原作やほかの小説も読んでみたい!