今日のごはん日記

料理の記録や気ままな日記を書いてます😄

金陽会のこと

日曜美術館」という番組を見るのが好きです。日曜日の夜だから、「明日から会社かぁ…(T_T)」と気持ちがへこみますが、これを見ると心が洗われる気がします。

先日は、熊本のハンセン病療養所、菊池恵楓園のことを特集していました。療養所といっても、実質は隔離政策に基づいて建てられたもので、普通の社会生活も送れず、生涯ここから出ることのなかった人達がたくさんいます。

自由に仕事や家族をもつこともできず、実の親兄弟とは縁を切られ、差別された人生はどれほど苦しかっただろうか……私などにはわからない辛さだと思う。世の中を憎んでも、けっして憎み切れなかっただろう…

この療養所には「金陽会」という絵画サークルがあり、現在850もの作品が残されているそうです。番組ではその絵のいくつかを紹介していたのですが、どれも素晴らしく、暖かな気持ちになるものばかりでした。

例えば、母馬と子馬の仲むつまじい姿を描いたもの。野原を子供達が並んで歩く「遠足」など。月光に照らされて輝く百合の花を描いた、幻想的な作品などもありました。これらの多くは、まったくの独学で描かれたそうです。司会者の小野正嗣さんも、「絵の中の光が入ってきて、こちらの固くなった心を広げてくれるようだ」と表現していました。

苦しいことや悲しいことがたくさんあったのに、どうしてこのような絵が描けたのだろう…もし自分だったら、絵を描くどころか絶望して死んでしまっていたかもしれません……

いちばん強く感じたのは、差別され人間として生きることを奪われても、良心や創造性はけっして奪われなかったんだな…ということ。誰にも破壊できないダイヤモンドを心の内に持っているような。きれいごとですまない感情はたくさんあったはずなのに…

番組を見たあと「夜と霧」の著者ヴィクトール・フランクルを思い出しました。ナチス強制収容所から生還しましたが、家族は皆帰らぬ人になり、自身も地獄のような体験をされました。でも、「それでも私は人生にイエスと言う」とはっきり言うんです。ふつうなら、人間不信になったり、運命を呪ったりしてしまいそうなのに。

『人生に何を期待するか、求めるか。そうではなく、人生のほうが我々に期待し、問うている。』と、フランクルは言います。

発想の転換(!)。絶望的な境遇にいた人の言葉として読むと、たいへん重さを感じます。そして「金陽会」の人達も、フランクルの心と重なるように思います。この崇高さが、絵を見る私達に光を与えてくれるのかもしれません。


自分は比べ物にならないくらいの凡庸な生を生きているけれど、どんなことがあっても投げやりにならずに、そうした視点を持って暮らしていこうと思いました。素晴らしい絵をたくさん見せてもらって、つくづくとそう思いました。