今日のごはん日記

料理の記録や気ままな日記を書いてます😄

新訳「変身」

多和田葉子さんが新しく翻訳した「変身」を読みました。これまで「ある朝目を覚ますと虫になっていた」というところは「巨大な虫」「毒虫」などと訳されてきましたが多和田さんの作品では「ウンゲツィファー」と原語のカタカタ書きになっています。これは害虫を指す言葉で元々は「汚れてしまい生け贄にもできない生き物」という意味があるそうで、いっそうネガティブな感じが増した気がしました。まったく何の役にも立たない邪魔者にグレゴール・ザムザはなってしまいます。親の借金を返すために身を粉にして働き家族に尽くしてきたのに、虫になったことで手の平を返したように邪険にされ・・。部屋から出られなくなったグレゴールに妹が食事を運んで来ますが、猫のエサ入れに食べ物を入れ足で押して寄越します。そして父親からは杖で小突かれたりリンゴを投げつけられたり、もう人間扱いはされません。

結末は絶望的で、彼が絶命すると両親と妹は清々して、揃って散策に出掛けます。厄介者がいなくなった安堵感もあり、暖かい日の光がまぶしい✨過ぎたことは忘れ、3人はこれからの明るい平和な暮らしのことを話し合いました。めでたしめでたし。

全然めでたくない!

読後感は、とっても暗い(>_<)!

グレゴールが働けなくなると、家族がいきなり冷たくなって「いなくなればいいのに」と願った。今まで養ってくれたのに本当にひどい!人非人だ!と思いますが、現代でも似たような場面が想像できてしまいます。例えば介護の現場とか・・。意思の疎通が難しいと面倒をかけたりイライラさせてしまう。グレゴールも訴えたいことがあったけれど虫だから伝わらない。介護に疲れてしまったらこの家族のように「いなくなってほしい」と思うこともあるかもしれない。

そしてこの世には他の人と違うという理由で色んな差別も存在します。物語ではわかりやすい虫ですが・・現在、懸命に働いている医療従事者が差別や偏見にさらされている話を聞くと、恐ろしいほどの冷酷さに寒気がする・・グレゴールのエゴイストな家族と重なって見えてしまいます。

なぜ虫になったのか、その説明は一切ないのですが、何の咎められるべき責任がなくても、迫害され最後には死んでしまいます。自分には落ち度がなくても不幸に見舞われる・・現実社会ではこうしたことの方が多いのでしょう。戦時中に生まれてなければ幸福だったのに…とか、自然災害で被災するとか…誰かのせいで割りを食うこともあります。世界が不条理なことだらけだから、この小説はどんな風にも読むことができ、とても奥深い。いま読むと、カフカの生きた時代より新鮮でタイムリーな内容なのかもしれない・・

そして本人も家族も、虫になったことにそれほど驚いていない様子でした。そのせいで小説全体が不思議なムードを漂わせています。でも、この状況がおかしいと誰も思わなければ、それがずっと続いてしまい、邪魔な虫は駆除すればいいのだ、となってしまったら、本当に怖いことだな・・と思いました。「生産性のない人間」とか政治家が平気で言う国だから・・私達の住むこの社会でも、グレゴールのような人はたくさんいると思います。自分もいつかそうなるかもしれない。だから冷酷なエゴイストにだけはなるまい・・と改めて思いました。

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フランツ・カフカグレゴール・ザムザって名前が似ているから、作者の分身なのかな!?イケメンです😍💓