今日のごはん日記

料理の記録や気ままな日記を書いてます😄

福島に行くにあたり

来週から、福島県喜多方市に行ってきます。墓参りもあるのですが、親戚が多く住んでいるのでお見舞いに行ってこようかなと考えています。

昨年の暮れに行ったときの福島は、本当にのどかでした。自然、おいしい野菜や米、水・・・当たり前のように存在していたものたちが、すべて汚され台無しになりました。原発ほど高い代償を払うものはほかにないのではないでしょうか。あんなものを使うくらいなら、夜真っ暗になったほうがマシです。

ところで、福島では住民の方たちが放射能について話すことにためらいがあるそうなのです。もっと言えば、放射能関連の話題がタブー視されているのだとか。(テレビではほとんど取り上げていませんが『DAYS JAPAN』『週刊金曜日』といった広告を載せない雑誌が詳しく書いています。)
いちばん被害が大きなところでどうしてこのようなことが起こるのでしょうか。

たとえば、マスクをしていると『自分だけ助かりたいのか』と非難されたり、西日本の親戚宅に身を寄せようとすると『自分だけ逃げるのか』と言われたり・・・そのためマスクをしづらいとか、引っ越しをする場合も周囲には告げず、夜逃げ同然で行わざるを得ないという方もいたそうです。それから、避難所のテレビでは、お笑い番組はみんな観ているのに放射能関連のニュースになるとテレビの前から立ち去ってしまう人が多いという話を聞きました。危険なのは十分すぎるくらいわかっている、でもどうしようもないから敢えて耳には入れたくない、知りたくないという心理なのでしょう。

戦時中もそうだったのかもしれませんが、日本人にはもともとそうした性格があるのでしょうか。すごくイヤな気分になりますが・・・ファシズム的なものが育ちやすい土壌は確かにあると思います。

話は変わりますが、震災直後、被災者が行儀よく列を作っていたことや、暴動・略奪がなかったことに対する称賛の声が聞かれました。主に外国メディアからのものでしたが、これは必ずしも誇れることばかりではないだろうと思います。私たち日本人は良くも悪くも行儀の良い民族(といっていいのかな)です。この性格のマイナス面は、怒るべきときに怒れない、政府にはっきりというべきことをいえないということです。その不満が仲間内に対する非難やいじめとなって噴出するのではないでしょうか。上記のように、家族を守ろうとして取った行動を非難されたり、陰湿な空気が漂うくらいなら、武器を持ってガラスを壊して廻る外国の暴動のほうがまだ健全ではないだろうかと思ってしまいます。

政府の対応が遅く先の見通しが立たないことも、このことに拍車をかけているように思われます。これからどうなるかがわからないから、逃げていく人たちが自分を見捨てていくように思えるのではないでしょうか。

最近、福島第一原発周辺の土地を国有化するという話がでてきました。やはり・・・という印象ですが、国は最初から原発メルトダウンしているのもわかっていたはずですし、数年やそこらで帰れるとは思っていなかったのでしょう。そして福島を放射性廃棄物の捨て場所にするつもりなのです。あれほど美しく豊かな実りをもたらしていた福島を見捨てる気です。もっと早く除染をするべきだったと私は思います。
県外に散り散り、バラバラになった人たちは、まるで流浪の民となったユダヤ人のようです。

先日の、児玉龍彦さんの国会答弁で危機感をもったのか、やっと除染の話が出てきました。すぐにとりかかりきれいな福島に戻れることを願っています。